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地域とともに歩んできた泉北コミュニティの歴史を創刊から現在に至るまでご紹介します。
「泉北こんにちは」創刊
(B5判・8ページ、12000部でスタート。月2回、10日と25日に発行していた)

【創刊号】
「東京の出来事や海外のニュースはわかっても、隣近所のことは知らない。こんな情報社会を補足し、近隣社会い温かい人間関係を蘇生しよう」
泉北ニュータウンが誕生して間もない昭和46年(1971年)、上のような志をもって、本紙は誕生しました。
創刊第一号には「高くつく泉北鉄道の運賃、泉ヶ丘~難波が150円」「公立保育所をつくれ、若松台や宮山台で請願運動」などの記事が見られます。
「泉北コミュニティ」と改称
A4判になりました。

【A4版】
月3回発行(5・15・25日)に。このころは16ページ。
「泉北コミュニティ金剛・狭山版」発行(A4判・月2回発行、スタート時11000部)
金剛さやまコミュニティも月3回、5・15・25日発行に
当初は「毎週金曜日発行」
金剛さやまコミュニティも「第1・2・4金曜日発行」に。
この頃泉ヶ丘駅前にあった事務所で、読者のみなさんからのさまざまな問い合わせに答えようと、始めました。
当時はなんでも電話の時代。一日100件近くの問い合わせがありました。
「泉北コミュニティ金剛・狭山版」を「金剛さやまコミュニティ」と改称。
「毎週木曜日発行」に。

ブルーページを分離、分冊形式に。
※コミュニティの中にブルーインクで印刷された「広域版」があり、これだけが単独で配布される地域がありました。愛称・ブルーページ。このころ、「黒」と「ブルー」合わせて40~44ページ。1992年10月からまた合册に。
NTT全国タウン誌フェスティバルで大賞に選ばれました。
タブロイド判、一部カラーに。
文字も大きくなりました。

【一部カラーに】
共に20周年を迎えた泉北高速鉄道と本紙が共催で泉北緑道駅伝「泉北グリーンロードラン」を開催。
各地から260チームが参加しました。
パンジョホールで故下垣内末春さんの「泉北風物詩百景展」を開催。
オールカラーに。