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泉北ニュータウンの基礎知識

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な行

長池【ながいけ】

(原山台の長池とは別)
赤坂台2丁の赤坂公園内にある。満水時の面積0.55ha。

長池【ながいけ】

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原山台2丁の原山公園にある池。満水時の面積1.73ha。
※写真奥は栂美木多駅前のマンション、池は左の道路を隔てて近大堺病院と向かい合っている。

長峰【ながみね】

泉ヶ丘地区と栂地区にはさまれた丘陵地帯。かつては雑木林におおわれた「山」で、尾根伝いの幅3メートルの道はハイキングコースとして親しまれていたが、鉢ヶ峯地区とともに府の圃(ほ)場整備事業の対象になり、1984年~1992年にかけての大規模な工事で整然とした農地に生まれ変わった。特に長峰地区は丘陵全域、面積72万平方メートルがその対象となり、付近の景観は工事前とは一変してしまっている。狭い田んぼが段々になっていた丘陵は切り崩され、農道や水路を整備して1区画約2000平方メートルの農地に。しかし、あたりをさえぎるものがなくなり、眺望の良さは抜群、と言われる。メインの道路は幅5メートルに拡幅され、ハイキングコースとして今も愛好されている。
 整備後はニュータウンに近いことを生かし、市民に親しまれる農業をめざし、レンゲ畑の開放、コスモスの花摘み、じゃがいものオーナー募集などのイベントを実施、大温室をつくって花き栽培にも力を入れる。2008年からは5年計画で、ボランティアも加わってシバザクラによる景観づくりが進められている(下の写真)。

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なんてん橋【なんてんばし】

赤坂台2丁、赤坂台センターバス停そばにかかる陸橋。写真手前、右側にスーパーリベラルの入っているマンション(ファミーユ赤坂台)がある。

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濁り池【にごりいけ】

茶山台1丁、ビッグバン近くにある池。満水時の面積1.608ha。府の福祉部が管理。

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西原公園【にしはらこうえん】

栂・美木多駅北側に広がる地区公園。公園中央の緑道に87本の大木が並ぶケヤキ並木が続く。西に大方池、東に西松尾池があり、池のほとりの斜面には1600本の桜が植樹され、桜の名所となっている。中央には、約千人収容のスタンドを備えたグラウンドがあり、地下はニュータウンの水道を賄う貯水池となっている。面積123,000㎡。「みどりのつどい」や「ジャンボ迷路」も開催される。

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西山城【にしやまじょう】

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  現在の原山台1丁7番公社団地付近にかつてあった城。ニュータウンの泉ケ丘から栂にまたがる上神谷地区は、鎌倉時代から室町時代にかけて上神(にわ)氏が治めていた。大正11年刊の『大阪府全史』によると、鎌倉初期の1196年に東山城(現在の泉北高校敷地)、次いで5代目領主が小谷城(豊田)を築き、そして11代目が1347年に西山城を築いた。この3つをあわせて「鼎(かなえ)城」と呼ばれ、一族がここを拠点に勢力をふるっていた。しかし、室町末期の1571年、三好氏の軍に攻められ、3城とも滅ぼされ、城主も討ち死にした。 その後、遺臣らが供養のために「城山講」をつくって霊を祭り続けていたものの戦後は途絶えていた。しかし、昭和46年7月、ニュータウン造成にともない、城跡に残された墓が現在の地(原山台口バス停前)に移転させられ、記念碑も建立された。これを機に講が復活。毎年2月に城主をしのんで法要が行われている。

二本木山古墳【にほんぎやまこふん】

赤坂公園の地下に永久保存されている古墳。直径12メートル、高さ2メートルの円墳。赤坂公園入り口から右手のほうに進んだあたり。
 昭和33年1月、この地(通称二本木山)で松林を果樹園にするために開墾していたところ、石棺を発掘。中には砂岩でできた石枕と、二体の人骨が完全な状態で残っていた。一体は男性、もう一体は女性だったそうだが、それ以上くわしいことはわかっていない。4世紀末から5世紀にかけてのもので、当時の豪族の墓と思われる。
 発掘の後、古墳はふたたび埋め戻され、永久保存されることになった。その後、昭和52年~53年(1977年~1978年)にかけて府企業局が赤坂公園として整備。「古墳のある公園」となった。
 写真は住宅地から見上げたところ(左手に赤坂台小学校がある)。階段を上りきったところに説明板がある。

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日本敷物団地【にほんしきものだんち】

原山台5丁にある企業団地のひとつ。昭和37年(1962年)に日本敷物団地協同組合設立、翌1963年に用地取得、建設開始。総事業費25億円をかけて、昭和45年(1970年)11月竣工。敷地25万平方メートル。
  当初は21の敷物業者が協同組合型式で参加、羊毛の洗工―染工―紡績―製絨―整理加工のユニットシステムを行い、年間生産額120億円、全国生産の約3分の1を占めていた。ニュータウンの主婦たちも多くパートとして働き、約100人がマイクロバスの送迎を受けて敷物作りに従事していたという。しかし、住宅不況でカーペットの需要も頭打ち、円高不況の影響もあって昭和58年頃から操業が落ち込み、倒産や合併で組合員数は減る一方だった。80年代には敷物団地内の未利用地が次々と売却され、高層マンションなどが建設されるようになっていった。
  98年、オリックス・インテリア株式会社敷地内にイズミヤを核としたショッピングセンターがオープン。00年12月、隣接地に複合型映画館「ヴァージンシネマズ」(現在はTOHOシネマズ泉北)を中心としたショッピングセンター「クロスモール」がオープン。敷物団地はすっかり様変わりしてしまった。ほかにも、大型カー用品店「スーパーオートバックス」やドラッグストア、大型ホームセンター「ケーヨーデイツー」などが次々と建設された。09年10月にはスポーツクラブ「アクトス」がオープンした。
参考:日本敷物団地協同組合ウェブサイト
  http://www.uni-land.or.jp/jci/

庭代台【にわしろだい】

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栂地区南部に所在する住区。基本計画ではK住区。昭和49年8月に入居開始。造成前はミカン山と雑木林が丘陵地をおおっていた。15戸ほどの農家の集落があり、庭代(にわだい)地区と呼ばれていたのが地名の由来。当初計画戸数は3548戸。1丁~4丁からなり、面積114ヘクタール。2009年4月末現在3383世帯・8362人。

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