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ま行
槇塚公園【まきづかこうえん】

槇塚台2丁41番に所在する公園。昭和52年3月に完成。3.1ヘクタール。
槇塚台【まきづかだい】

昭和47年(1972年)4月に街びらきした。基本計画では「H住区」。陶器山七不思議の一つである黄金塚(現在の1丁府営20棟近く)があったため、その巻き物の巻を槇ともじったといわれている。当初計画戸数は3213戸。1丁~4丁からなり、面積103ヘクタール。2009年4月末現在3066世帯・7165人。住区内に槇塚台保育園、槇塚幼稚園、槇塚台小学校、晴美台中学校があるほか、プール学院大学がある。
槇塚台近隣センター【まきづかだいきんりんせんたー】

昭和47年(1972年)4月29日、晴美台近隣センターと同時にオープン。泉ヶ丘地区の近隣センターの中で最も規模が大きく、これは槇塚台が東西に長いので、最初から晴美台・槇塚台両方の住民が利用できるよう設置されたため。泉北5号線(堺市道としては三原台・槇塚台線)をはさんで一方に近商ストア、向かい側に独立店舗が設置され、そのふたつが2本の歩道橋で結ばれている。このスタイルは千里ニュータウンではあったが、泉北ではここだけという。近商ストア槇塚台店はその名に反して住所は晴美台というややこしいことになっているが、もともとここは「晴美台&槇塚台センター」なのだと思えば、なんとなく納得できるというものである。
昭和52年(1977年)4月には道路を隔てた向かいに生鮮品中心の市場「ユニオンマート」が開店したが、平成3年(1991年)に閉店した。ユニオンマート跡には04年、有料老人ホーム「フローレンス泉ヶ丘・槇塚台」がオープンした。
2011年5月に「泉北ほっとけないネットワーク」による配食サービスが始まり、10月には槇塚台レストランがオープンした。2012年3月にはASUの会がまちかどステーションを開設した。
槇塚台小学校【まきづかだいしょうがっこう】

槇塚台3丁。昭和47年(1972年)5月に、職員13人、児童97人でスタート。初代校長・檀野寛氏。児童数のピークは昭和56年(1981年)で1,703人。2010年5月1日現在、15クラス・409人。
松城橋【まつしろばし】

1972年、若松台1丁府営住宅住民からの要望を受けて建設された歩行者専用の陸橋。全長142メートル。泉北高速をまたぎ、竹城台3丁とを結ぶ。当時、同地区の住民は近商ストアや風呂屋に行くのに防犯灯のない谷間をくぐらねばならず、不便だった。また、津久野行きのバス停が竹城台3丁にあったことから、橋があれば、と考えられた。歩行者専用橋ではあるが、凝ったデザインのりっぱなもので、陸橋のイメージを超えたもの。橋上からの眺めがよく、散歩コースにグッド。市道ではなく緑道の一部で、公園事務所の管理。大蓮公園からこの橋を通って竹城公園まで、緑道が続くことになった。写真は若松台側から竹城台側を望む。
まつむし橋【まつむしばし】
西原公園から続く緑道の途中、桃山台1丁・2丁・3丁・4丁の境目にある陸橋。橋の手前には遠くからでも見える雇用促進事業団栂宿舎、北詰には近隣センター、医療センターがあり、付近は桜の名所。
まんりょう橋【まんりょうばし】
城山公園近く、城山台1丁にある陸橋。
御池公園【みいけこうえん】

御池台2丁に所在する公園。昭和55年(1980年)に整備された。面積72,000㎡。公園内に釣り池の田池がある。写真は4月下旬に撮影したもので、桜の木にちょうちんがまだついている。
御池台【みいけだい】

昭和54年(1979年)4月、新檜尾台とともに泉北ニュータウンで最も遅くに街びらきした住区。基本計画では「L住区」。地名の由来は、住区にあった御池山。当初計画戸数は2500戸。1丁~5丁からなり、面積130ヘクタール。2009年4月末現在3451世帯・9765人。住区内に御池台保育園、大阪芸大附属泉北幼稚園、御池台小学校がある(中学校は庭代台中学校)。また、4丁にあった上神谷高校跡地には2009年4月に上神谷支援学校が開校した。南端の5丁には老人福祉センターや老人ホームがある。
御池台近隣センター【みいけだいきんりんせんたー】
昭和54年(1979年)の御池台入居開始と同時にオープンした。当初中心になっていたのは対面販売の「ショッピングセンター御池」だったが、1995年にスーパー形式に転換。名称も「味彩の郷フローリー」とした。他に薬局(ナンバーワン薬局)、喫茶店(エリカ)、食堂(きた寿司)、本屋(みいけ書房)、ベーカリー(サカグチ)などがある。
写真正面奥がフローリー。その前の道路両側に店が並ぶ。


